ブログとフェイスブックと小説と

傘寿の齢となりましたが、ブログとフェイスブックと小説に、「青年の気概をもって取り組みたい」と思っています。私より若いあなたには、やりたいことが多々あることでしょう。苦労しつつも楽しみながら、ともに歩んで行きたいと思います。

読書を楽しむ小学生はその後の人生で得をする

この国では子供たちの多くが、小学生の頃から塾に通っています。そのことが不思議に思える私は、もう一つのブログに以下のような記事を投稿したことがあります。

ブログ「明日はさらに好天気……喜多郎をBGMにブログを書こう」に投稿した記事「子供を学習塾に通わせるより読書の楽しみを教える方がよい?(2015.9.24)」より引用    

……私は小学校4年生の秋に流行性肝炎を患い、数週間ほど学校を休んだことがあります。病床についてまもなく、父から一冊の書物を渡されました。昨年帰省したおりに自宅に持ち帰り、今は手元にあるその書物を調べてみると、昭和3年3月に改造社から発行されたもので、「現代日本文学全集第三十三篇 少年文学集」とあります。著者15人による作品45篇が収録されており、文語調で読みにくい「小公子」や、アンデルセンの「おやゆび姫」など、幾つかの翻訳ものも載っています。
 
病気から快復するまでの数週間、私はその本を読んで過ごしましたが、これが私の読書事始めであり、読書の楽しみを知るきっかけになりました。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」や「杜子春」、鈴木三重吉による「古事記物語」などを印象深く読みましたし、長編の「小公子」を苦労しながらも読みおえました。

この記事を書こうとして、久しぶりにその書物を開いてみたら、小さな活字で三段組に印刷されており、どのページも文字で埋め尽くされています。それだけでなく、どの作品にも漢字が異様なほどに多用されていますが、すべての漢字にふりがなが付けられています。漢字にふりがなが付いていようと、この本を読むこと以外にやれることがあったなら、小学4年生の私は眼を通そうとはしなかったに違いない。今の私にはそのように思えます。

その頃の私の家にはラジオすらなかったので、病床にあっては読書しかできない状況でした。今のようにテレビがあったなら、もっぱらテレビを見て過ごすことになり、書物を開こうとはしなかったでしょう。あるいは、父か母が適切な手をうって、読書に導いてくれたのでしょうか。いずれにしても、小学生時代に読書の味を覚えたことは、私の人生に大いに役立っているはずです。

8月23日の投稿記事「成績劣等生から技術者までの道のり」(注1)で、鉱石ラジオや自動木琴演奏装置から始めて、ついには真空管ラジオの独学へと進んだことを書き、勉強ができないにも拘わらずそのようなことができたのは、私が偏差値教育に毒されていなかったからであろうと書きました。今も無論そのように思っているのですが、今日のブログを書いているうちに、さらに気づいたことがあります。もしかすると、書物を読み慣れていたことが、難解な参考書(注2)に取り組む勇気を与えてくれたのではないか。そうだとすれば、小学校4年生で病気になったことはむしろ幸運なできごとであり、私が成績劣等生から抜け出せた要因のひとつは、病床で読んだ文学全集にあったということになります。

典型的な理系人間と呼ばれるひとであろうと、多くの読書を通じてそこに至っているはず。どのような分野で生きてゆくにしろ、文章を読む能力はきわめて重要なものです。小学生の頃から読書に親しんでいたなら、中学校や高校で学ぶうえでそれが役立ち、ひいてはその後の人生を益することになるでしょう。もしかすると、中学生になってから塾に通わせるよりも、小学生時代から読書に親しませておく方が、はるかに好ましい結果をもたらすかも知れません。

誤解のないようにつけ加えると、学習塾の存在価値を否定するつもりはありません。学ぶことの意義を塾で知る可能性があります。子供の個性に合わせて教える塾もあるでしょう。目標を呈示して意欲を高め、努力を促す塾もありそうです。とはいえ、学校に加えて学習塾で学ぶ生活は、子供たちには過酷に過ぎると思います。子供たちにとって望ましいのは、学校の授業で充分な学力を得ることでしょう。そのための下地を養ううえで役立つことのひとつが、小学生時代に書物に親しむことではないか。私にはそのように思えます。

私の場合は数週間も床に臥すことになり、仕方なしに本を読み始めた感がありましたが、読書の喜びを教えてくれた父には感謝せずにはいられません。随分と待たせることになりましたが、父の歌集(9月9日投稿の記事「父の歌集」参照)をまとめることで、その恩返しをしたいと思う次第です。      (引用おわり)
 
成績劣等生から抜け出て技術者となった自分の経験と、父が長らく教師を勤めていたことから、私には教育に対する強い関心があります。その思いに押されるままに、昨年から始めた「明日はさらに好天気……喜多郎をBGMにブログを書こう」なるブログには、教育に関わる記事を幾度も投稿してきました。その幾つかを、新しく開設したこのブログにも転記したいと思っています。

(注1)「成績劣等生から技術者までの道のり」
私が開設しているブログ「明日はさらに好天気……喜多郎をBGMにブログを書こう」に投稿した記事(2015.8.23)のタイトルです。中学1年生まで成績劣等生だった私は、大学の工学部を出て電子技術に関わる技術者になったのですが、そこに至る経緯が簡潔に記されています。

(注2) 難解な参考書
ここで言う難解な参考書は「NHKラジオ技術教科書」です。上述の記事「成績劣等生から技術者までの道のり」にでてくるその書物は、中学生だった私には難解でかなりの努力を強いましたが、どうしても理解したいという気持ちが強かったため、苦労しながらも苦になることはなく、むしろ楽しみながら学ぶことができました。
自分にとって本当に面白いもの、あるいは強く惹かれるものであれば、苦労をおしても挑戦できると思います。子供にそのようなこと、あるいは書物を呈示できたなら、親としての役割の大きな部分を果たしたことになる、と言えそうな気がします。