ブログとフェイスブックと小説と

傘寿の齢となりましたが、ブログとフェイスブックと小説に、「青年の気概をもって取り組みたい」と思っています。私より若いあなたには、やりたいことが多々あることでしょう。苦労しつつも楽しみながら、ともに歩んで行きたいと思います。

小説と彫刻とPCプログラム

パソコンのホーム画面にしているMSNのサイトに、「仕事が遅すぎる人に共通する残念な考え方 すべての仕事は必ずやり直しになると心得よ」なる面白い記事が出ていた。東洋経済オンラインというサイトからの引用記事で、時間を効率良く使って仕事を進めるための心得が説かれている。筆者の中島 聡氏は、元マイクロソフト社の伝説的プログラマーであり、Windows95の開発に関わった技術者とのこと。「なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である」なる著作もあるという。

 

その文章の一部をここに引用させていただく。

 

東洋経済オンラインの記事「仕事が遅すぎる人に共通する残念な考え方 すべての仕事は必ずやり直しになると心得よ(中島 聡)」の一部を引用

 

   …………コンピューターのプログラムに潜む誤りであるバグを多少無視して、とりあえず大枠を作ったものを「プロトタイプ(試作品)」と言います。…………

  プログラムに限らず、大抵の仕事の全体図は、実際にやってみないと描けません。企画書という紙の上だけで考えても大抵思ったとおりになることはないのです。みなさんもそういう経験がおありでしょう。ですからプロトタイプの作成に速やかに入り、ある程度まで作ったうえで、どのくらいの難易度かを考えつつ仕事を進めていくのが賢いやり方です。

  プロトタイプを作らず愚直に細部を突き詰めていった場合、締め切り間際になって「ここは設計から作り直さなければならない」という事実に気づくことがあります。そうなると危険です。締め切り間際では、大枠の設計を変更する時間もないので、完成品はろくでもないものになります。…………

  よくこういった話を、石膏の彫刻の例を出して説明することがあります。石膏を削って胸像を作るとき、いきなり眉毛の一本一本にこだわって細い彫刻刀を使う人はいません。そんなことをしても、後になって全体のバランスがおかしくなって失敗するだけです。普通はまず大きく輪郭を粗削りするところから始めます。つまりプロトタイプを作るとは、そういうことなのです。

   仕事が遅くて終わらない人が陥る心理として、「評価されるのが怖い」というものがあります。自分の仕事がどう評価されるのかが怖くて、できるだけ自分の中の100点に近づけようとしてブラッシュアップを繰り返します。しかしブラッシュアップすればするほど、もっと遠くに100点があるような気がして、いつまでたってもこのままじゃ提出できないという気持ちになります。そして、こうして時間をかければかけるほど、上司からはクオリティを期待されているような気がして、恐怖に拍車がかかります。このループに陥る人の状態を「評価恐怖症」と言います。評価恐怖症にかかった人は、自分の中での100点満点を目指すあまり、本来なら終わる仕事も終わらなくなります。…………粗削りでもいいから早く全体像を見えるようにして、細かいことは後で直せばいいのです。そうした気持ちでいれば、評価恐怖症でいることも、あまり大したことではないとわかるはずです。あなたはプロトタイプを最速で作るべきなのであって、細かいところは後から詰めて考えればいいのです。

……想像してみてください。最初から100%の完成度のものを作るなんて、可能でしょうか?大抵の仕事は、終わったときは満足していたとしても、時間が経つと修正したくなるものではないでしょうか?……どんなに頑張って100%のものを作っても、振り返ればそれは100%ではなく90%や80%のものに見えてしまうのです。言い換えれば、100%のものは、そんなに簡単に作れるものではありません。だから世の中のアプリ開発者は、配信後も長い時間をかけてアップデートを繰り返し、少しでもいいものを提供できるように努力しています。

  つまり最初から100%の仕事をしようとしても、ほぼ間違いなく徒労に終わるわけです。なぜなら後から再チェックすると、直すべき箇所が次々に見つかっていくからです。……(引用おわり)

 

上記の文章の続きに、中島氏が開発に関わったWindows95は、3500個ものバグを残したままに発売されたと記されている(深刻なバグは修正してあったとのことである)。そうであろうと、それは世界に大きなインパクトを与え、歴史に名を残すOSとなった。

 

たとえ「評価恐怖症」でなくても、仕事を進める過程で細部にこだわるあまり、余分な努力をすることがあるだろう。完璧主義の人の多くは日常生活の中でも、些細なことにとらわれるまま、時間を無駄にしている可能性がある。中島氏による上記の文章は、そのような人にとっても参考になりそうである。

 

例えにあげられた彫刻の話を読んで、ミラノで見た未完成の彫刻(ミケランジェロのものだったと思うが、記憶が定かではない)を思い出した。白い大理石に刻まれていたのは、体のポーズがどうにかわかる程度の粗削りであった。それが未完成に終わっていたのは、作者がその段階で中止すべきと判断したからであろう。粗削りの段階で終えたことにより、無駄な労力を費やさずにすんだことになる。

 

 小説を創作する場合の草稿も、プロトタイプと言ってよさそうである。私が初めて書いた小説「防風林の松」(注1)は、そのあとがきに記したように、構想を練ることもなく、動機に押されて書き始めたものである。構想はなくても目的はあったので、筆の赴くままに書き進め、書き上げてから改訂することにした。その結果は原稿用紙で500枚を超える草稿になったが、改訂を繰り返すたびに短くなって、400枚でどうにか完成するに至った。拙い草稿に繰り返しては手を加え、納得できる形に仕上げたわけだが、小説については素人である私には、最も適したやり方だった、と思っている。

 

特攻隊員を主人公とする「造花の香り」(注2)もまた、走りたがる筆に引かれるままに書き進めた結果、900枚に及ぶ草稿になったが、改訂を重ねて400枚程度の作品に収まった。「防風林の松」とともにこの小説も、アマゾンの電子書籍であるキンドル本になっている。

 

「小説を書くにはプロットなるものを作成し、構想を練ってから書き始めるべきである」という文章を読んだことがある。それが一般的な小説の作法であろうと、80歳に近い素人の私には、気持ちに押されるままに書き進めた草稿を、じっくりと改訂するやり方でしか書くことができない。これからもそのやり方で書きたいのだが、果たしてどんな結果になることやら。

 

注1 「防風林の松」

 私が書いた最初の小説であり、アマゾンの電子書籍キンドル本)になっている。

〈小説の概要〉松井滋郎は中学一年生まで落ちこぼれだったが、今は電機会社で技術者として働いている。独学で取り組んだ電気の勉強が、中学生だった滋郎に自信をもたらし、大学を経て技術者へと導く結果になったのだった。
 仕事と恋と友情に恵まれ、充実した日々を送っていた滋郎は、同僚の妹に惹かれるままに、心の迷路に迷い込んでゆく。滋郎は仕事に情熱を燃やしながらも、上司に対して反発心を募らせる。そのような滋郎が自らの未熟さを思い知らされ、退職して新たな道に進まざるを得なくなるときがくる。
 新たな道を歩んだ滋郎の現在の姿が、かつての恋人との関わりをからめて、序章と終章に描かれている。

 

注2  「造花の香り」

 特攻隊に関わる小説ながら、ベストセラーになった「永遠のゼロ」とは異質な恋愛小説であり、テーマも大きく異なっている。アマゾンの電子書籍キンドル本)になっている。

〈小説の概要〉  東京の大学で学ぶ主人公が恋と友情に恵まれ、戦時ながらも充実した学生生活を送る様子が前半に描かれ、後半では、徴兵された主人公の海軍航空隊での生活と、訓練の合間になされる婚約者との交流、さらに、特攻隊要員に選ばれてから出撃するに至るまでが描かれる。序章と終章は戦後における後日談であり、この小説のテーマを集約的に表している。