ブログとフェイスブックと小説と

傘寿の齢となりましたが、ブログとフェイスブックと小説に、「青年の気概をもって取り組みたい」と思っています。私より若いあなたには、やりたいことが多々あることでしょう。苦労しつつも楽しみながら、ともに歩んで行きたいと思います。

ユーチューブでは無名作曲家による傑作を聴くことができる

もうひとつのブログ「喜多郎をBGMにブログを書こう」に投稿した記事を、ここに転載することにした。

 

先日の投稿記事「ゴーストライターになって運が開けた交響曲ヒロシマの作曲者」に、自作の曲をユーチューブで公開している人のことを書いた。興味を惹かれるままにさらに調べてみたら、Hitoshi Suzuki氏の他にもSmallClarinet氏や Shirokumaize氏など、幾人ものひとが交響曲や協奏曲を公開している。クラシックやタンゴにフォークソング、さらには演歌も楽しむ私には、ユーチューブに公開された交響曲や協奏曲も、チェロやピアノに関わる小曲も、モーツァルトマーラーやリスト同様に愉悦的な音楽であり、心地良く聴くことができる。

 

Hitoshi Suzuki氏のピアノコンチェルトには、次のような感想が書き込まれている。
〈冒頭はリストのピアノ協奏曲に似ているなと思いました。ロマンの香り高い情熱を秘めたピアノ・コンツェルト! ロマン派の某巨匠の隠れた名作(譜面が新しく発見された!)・・・と言われたら、ああ、なるほどそうかも・・・と思ってしまいそうな第1楽章!〉
これに対するHitoshi Suzuki氏のコメントは、「 私はロマン派のPコンチェルトが大好きでして、リスト、ショパンマクダウェルをよく聴いています。その他、バーバーのような「競奏曲」的なものも好きなのでいつかチャレンジしてみたいと思っています。」となっている。

 

 自作の協奏曲などをユーチューブで公開している人の多くは、音楽大学で作曲を学んだ人たちかも知れない。恵まれた才能と強い意欲があろうと、自作の曲を聴いてもらうには、 DTM(Desk Top Music・・・・・・パソコンを使用しての楽曲作成)に取り組み、ユーチューブに公開するしか手段がないのだろうか。それとも、音楽的な感性にすぐれ、パソコンを使える人であれば、素人であってもDTMを使って交響曲などを公開できる時代になったのだろうか。いずれにしても、それらの曲を完成し、公開するには多大な努力と労力を必要としたはず。素人ながら長編小説を書き、アマゾンの電子書籍として公開している(注)私には、分野が異なるとはいえ共感をおぼえる。

 

パソコンスピーカーからいま聞こえている「シンフォニエッタ ハ長調」なる曲は、Hitoshi Suzuki氏が高校時代に作曲したものだという。交響曲を作曲し、ユーチューブに発表するようなひとたちは、並外れた音楽の才に恵まれたうえに、DTMを使いこなす能力にも長けているのであろう。もしかすると、天才的な作曲家であってもユーチューブで公開する術を持たなければ、世間から認知されないままに終わるかも知れない。そのような人の作曲になる名曲を、ユーチューブでもよいから聴いてみたいものだが、そのためにはどんな手立てが考えられるだろうか。

 


  アマゾンの電子書籍であるキンドル本として、2編の小説を公開しています。

防風林の松
  松井滋郎は中学一年生まで落ちこぼれだったが、今は電機会社で技術者として働いている。独学で取り組んだ電気の勉強が、中学生だった滋郎に自信をもたらし、大学を経て技術者へと導く結果になったのだった。
  仕事と恋と友情に恵まれ、充実した日々を送っていた滋郎は、同僚の妹に惹かれるままに、心の迷路に迷い込んでゆく。滋郎は仕事に情熱を燃やしながらも、上司に対して反発心を募らせる。そのような滋郎が自らの未熟さを思い知らされ、退職して新たな道に進まざるを得なくなるときがくる。
  新たな道を歩んだ滋郎の現在の姿が、かつての恋人との関わりをからめて、序章と終章に描かれている。

 

造花の香り
 特攻隊に関わる小説ながら、ベストセラーになった「永遠のゼロ」とは異質な恋愛小説であり、テーマも大きく異なっている。

 東京の大学で学ぶ主人公が恋と友情に恵まれ、戦時ながらも充実した学生生活を送る様子が前半に描かれ、後半では、徴兵された主人公の海軍航空隊での生活と、訓練の合間になされる婚約者との交流、さらに、特攻隊要員に選ばれてから出撃するに至るまでが描かれる。序章と終章は戦後における後日談であり、この小説のテーマがここに集約されている。

 

小説も音楽も、作者が誰であろうと良いものはよい……ユーチューブで聴ける無名作曲家の交響曲

もうひとつのブログ「喜多郎をBGMにブログを書こう」に投稿した記事を、タイトルを変えてここに転載することにしました。

 

ブログ「喜多郎をBGMにブログを書こう」より転載

パソコンスピーカーから聞こえているのは、新垣 隆作曲になる「ヴァイオリンのためのソナチネ」です。PCスピーカーとはいえ音質が良いので、とても心地良く聞こえます。新垣氏が佐村河内守氏のゴーストライターにならなかったなら、この曲が世に出ることはなかったかも知れない。もしかすると、まだ知られていない天才的な作曲家や、演奏される機会を待っている名曲が、世界のあちことに存在しているのではなかろうか。

作曲家であってピアニストでもある新垣 隆氏は、「交響曲ヒロシマ」や「ヴァイオリンのためのノソナチネ」のゴーストラターとして有名になりましたが、もとをたどれば、佐村河内守氏が世間の耳目を集め、大きな話題になったことに端を発しています。

佐村河内守氏が耳の聞こえない作曲家として、現代のベートーベンともてはやされるに至ったのは、NHKのドキュメンタリー番組「魂の旋律~音を失った作曲家」で紹介されたからでしょう。
耳の聞こえない作曲家が苦難を排して成した作品として、無名作曲家による「交響曲ヒロシマ」や「ヴァイオリンのためのノソナチネ」が注目され、多くのひとに聴かれることになった。これらの曲はクラシックのCDとして異例なほどに売れましたが、その後まもなく、ほんとうの作者が新垣隆氏とわかり、CDの発売も中止されました。
  
音楽の世界もクラシックとなれば、無名の作曲家が世に出るには高いハードルがあり、作者の側に注目されるだけの話題性がなければ、作品が演奏される機会もなさそうです。小説家を目指す近道として文学賞が存在するように、作曲家の世界にも新人賞など様々な賞があるようです。小説の場合同様に、いかに才能に恵まれ、優れた作品をものにしたところで、賞を得るなどの幸運に恵まれないかぎり、作曲家としてみとめられるのは容易ではなさそうです。

小説の場合には電子出版なる手段によって、費用をかけることなく公開することもできるが(たとえ公開したところで、注目されないかぎりは読んでもらえそうにないのだが)、作曲の場合はどうでしょうか。ユーチューブなどを利用して自作の曲を公開したところで、注目されるだけの理由がなければ、どんなに優れた曲であろうと、多くの人に聴いてはもらえないでしょう。とはいえ、たまたま聴いたひとがクチコミ評価欄に感想を書き込めば、それが機縁となって聴かれるようになる、といったことは有り得るでしょう。

アマゾンのキンドル本には無名の作者による作品も多いのですが、読まれるのはミステリーやマンガであって、純文学系の小説に眼を通すひとは少ないようです。私も自作の小説をキンドル本にしていますが(注1、注2)、作者たる私は無名であって、高齢という以外に話題性もなく、なかなか読んではもらえません。原稿を読んでいただいた知人たちからは好評を得ているので、キンドル本の感想記入欄に、どなたかが感想を書いてくださらないものかと願っています。

ゴーストライター」で検索してみたら、昨年のテレビドラマ「ゴーストライター」に関する記事があり、そのあらすじが紹介されています。見なかったそのドラマに興味をおぼえ、あらすじを読んでみました。
このドラマでは、「優れた小説であろうと無名作者のものは出版できないが、ゴーストライターによる作品であろうと、著名作家の名前で出すなら出版可能であり、売れる可能性がある」とされています。

無名作者の小説であろうと、読んで良かったと思える作品は多々あるはずですが、手を出すひとは少ないようです。「貴重な時間を費やすのだから、読むに値するものしか読みたくはない。ベストセラーの小説か有名作家のもの、あるいは文学賞を得た小説であれば、読んで損をすることはあるまい」ということでしょう。とはいえ、芥川賞を得た小説を読んで不満を覚えたひとも多いと思います。芥川賞にケチをつけるつもりはありませんが、私には、読んで良かったと思える受賞作品はごくわずかです。同じような感想を抱くひとが、案外に多いのではないかという気がします。

自作の曲を公開しているひとがあるかも知れないと思い、ユーチューブで調べたところ、交響曲やピアノ協奏曲すら公開されていました。これを書きながら聴いているのは、Hitoshi Suzuki氏作曲の交響曲です。パソコンを使うDTMでの作曲と演奏とのことですが、なかなかどうして素晴らしいものです。音楽の分野にこのような世界があるとはまったく知りませんでした。このブログを読んでくださった方に、試聴されるようお奨めします。ユーチューブのサイトで「自作交響曲」を検索すれば、おもしろい交響曲や協奏曲などが出てきます。


注1 小説「防風林の松」
  アマゾンのキンドル本として公開中

注2 小説「造花の香り」
  アマゾンのキンドル本として公開中

小説と彫刻とPCプログラム

パソコンのホーム画面にしているMSNのサイトに、「仕事が遅すぎる人に共通する残念な考え方 すべての仕事は必ずやり直しになると心得よ」なる面白い記事が出ていた。東洋経済オンラインというサイトからの引用記事で、時間を効率良く使って仕事を進めるための心得が説かれている。筆者の中島 聡氏は、元マイクロソフト社の伝説的プログラマーであり、Windows95の開発に関わった技術者とのこと。「なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である」なる著作もあるという。

 

その文章の一部をここに引用させていただく。

 

東洋経済オンラインの記事「仕事が遅すぎる人に共通する残念な考え方 すべての仕事は必ずやり直しになると心得よ(中島 聡)」の一部を引用

 

   …………コンピューターのプログラムに潜む誤りであるバグを多少無視して、とりあえず大枠を作ったものを「プロトタイプ(試作品)」と言います。…………

  プログラムに限らず、大抵の仕事の全体図は、実際にやってみないと描けません。企画書という紙の上だけで考えても大抵思ったとおりになることはないのです。みなさんもそういう経験がおありでしょう。ですからプロトタイプの作成に速やかに入り、ある程度まで作ったうえで、どのくらいの難易度かを考えつつ仕事を進めていくのが賢いやり方です。

  プロトタイプを作らず愚直に細部を突き詰めていった場合、締め切り間際になって「ここは設計から作り直さなければならない」という事実に気づくことがあります。そうなると危険です。締め切り間際では、大枠の設計を変更する時間もないので、完成品はろくでもないものになります。…………

  よくこういった話を、石膏の彫刻の例を出して説明することがあります。石膏を削って胸像を作るとき、いきなり眉毛の一本一本にこだわって細い彫刻刀を使う人はいません。そんなことをしても、後になって全体のバランスがおかしくなって失敗するだけです。普通はまず大きく輪郭を粗削りするところから始めます。つまりプロトタイプを作るとは、そういうことなのです。

   仕事が遅くて終わらない人が陥る心理として、「評価されるのが怖い」というものがあります。自分の仕事がどう評価されるのかが怖くて、できるだけ自分の中の100点に近づけようとしてブラッシュアップを繰り返します。しかしブラッシュアップすればするほど、もっと遠くに100点があるような気がして、いつまでたってもこのままじゃ提出できないという気持ちになります。そして、こうして時間をかければかけるほど、上司からはクオリティを期待されているような気がして、恐怖に拍車がかかります。このループに陥る人の状態を「評価恐怖症」と言います。評価恐怖症にかかった人は、自分の中での100点満点を目指すあまり、本来なら終わる仕事も終わらなくなります。…………粗削りでもいいから早く全体像を見えるようにして、細かいことは後で直せばいいのです。そうした気持ちでいれば、評価恐怖症でいることも、あまり大したことではないとわかるはずです。あなたはプロトタイプを最速で作るべきなのであって、細かいところは後から詰めて考えればいいのです。

……想像してみてください。最初から100%の完成度のものを作るなんて、可能でしょうか?大抵の仕事は、終わったときは満足していたとしても、時間が経つと修正したくなるものではないでしょうか?……どんなに頑張って100%のものを作っても、振り返ればそれは100%ではなく90%や80%のものに見えてしまうのです。言い換えれば、100%のものは、そんなに簡単に作れるものではありません。だから世の中のアプリ開発者は、配信後も長い時間をかけてアップデートを繰り返し、少しでもいいものを提供できるように努力しています。

  つまり最初から100%の仕事をしようとしても、ほぼ間違いなく徒労に終わるわけです。なぜなら後から再チェックすると、直すべき箇所が次々に見つかっていくからです。……(引用おわり)

 

上記の文章の続きに、中島氏が開発に関わったWindows95は、3500個ものバグを残したままに発売されたと記されている(深刻なバグは修正してあったとのことである)。そうであろうと、それは世界に大きなインパクトを与え、歴史に名を残すOSとなった。

 

たとえ「評価恐怖症」でなくても、仕事を進める過程で細部にこだわるあまり、余分な努力をすることがあるだろう。完璧主義の人の多くは日常生活の中でも、些細なことにとらわれるまま、時間を無駄にしている可能性がある。中島氏による上記の文章は、そのような人にとっても参考になりそうである。

 

例えにあげられた彫刻の話を読んで、ミラノで見た未完成の彫刻(ミケランジェロのものだったと思うが、記憶が定かではない)を思い出した。白い大理石に刻まれていたのは、体のポーズがどうにかわかる程度の粗削りであった。それが未完成に終わっていたのは、作者がその段階で中止すべきと判断したからであろう。粗削りの段階で終えたことにより、無駄な労力を費やさずにすんだことになる。

 

 小説を創作する場合の草稿も、プロトタイプと言ってよさそうである。私が初めて書いた小説「防風林の松」(注1)は、そのあとがきに記したように、構想を練ることもなく、動機に押されて書き始めたものである。構想はなくても目的はあったので、筆の赴くままに書き進め、書き上げてから改訂することにした。その結果は原稿用紙で500枚を超える草稿になったが、改訂を繰り返すたびに短くなって、400枚でどうにか完成するに至った。拙い草稿に繰り返しては手を加え、納得できる形に仕上げたわけだが、小説については素人である私には、最も適したやり方だった、と思っている。

 

特攻隊員を主人公とする「造花の香り」(注2)もまた、走りたがる筆に引かれるままに書き進めた結果、900枚に及ぶ草稿になったが、改訂を重ねて400枚程度の作品に収まった。「防風林の松」とともにこの小説も、アマゾンの電子書籍であるキンドル本になっている。

 

「小説を書くにはプロットなるものを作成し、構想を練ってから書き始めるべきである」という文章を読んだことがある。それが一般的な小説の作法であろうと、80歳に近い素人の私には、気持ちに押されるままに書き進めた草稿を、じっくりと改訂するやり方でしか書くことができない。これからもそのやり方で書きたいのだが、果たしてどんな結果になることやら。

 

注1 「防風林の松」

 私が書いた最初の小説であり、アマゾンの電子書籍キンドル本)になっている。

〈小説の概要〉松井滋郎は中学一年生まで落ちこぼれだったが、今は電機会社で技術者として働いている。独学で取り組んだ電気の勉強が、中学生だった滋郎に自信をもたらし、大学を経て技術者へと導く結果になったのだった。
 仕事と恋と友情に恵まれ、充実した日々を送っていた滋郎は、同僚の妹に惹かれるままに、心の迷路に迷い込んでゆく。滋郎は仕事に情熱を燃やしながらも、上司に対して反発心を募らせる。そのような滋郎が自らの未熟さを思い知らされ、退職して新たな道に進まざるを得なくなるときがくる。
 新たな道を歩んだ滋郎の現在の姿が、かつての恋人との関わりをからめて、序章と終章に描かれている。

 

注2  「造花の香り」

 特攻隊に関わる小説ながら、ベストセラーになった「永遠のゼロ」とは異質な恋愛小説であり、テーマも大きく異なっている。アマゾンの電子書籍キンドル本)になっている。

〈小説の概要〉  東京の大学で学ぶ主人公が恋と友情に恵まれ、戦時ながらも充実した学生生活を送る様子が前半に描かれ、後半では、徴兵された主人公の海軍航空隊での生活と、訓練の合間になされる婚約者との交流、さらに、特攻隊要員に選ばれてから出撃するに至るまでが描かれる。序章と終章は戦後における後日談であり、この小説のテーマを集約的に表している。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

読書を楽しむ小学生はその後の人生で得をする

この国では子供たちの多くが、小学生の頃から塾に通っています。そのことが不思議に思える私は、もう一つのブログに以下のような記事を投稿したことがあります。

ブログ「明日はさらに好天気……喜多郎をBGMにブログを書こう」に投稿した記事「子供を学習塾に通わせるより読書の楽しみを教える方がよい?(2015.9.24)」より引用    

……私は小学校4年生の秋に流行性肝炎を患い、数週間ほど学校を休んだことがあります。病床についてまもなく、父から一冊の書物を渡されました。昨年帰省したおりに自宅に持ち帰り、今は手元にあるその書物を調べてみると、昭和3年3月に改造社から発行されたもので、「現代日本文学全集第三十三篇 少年文学集」とあります。著者15人による作品45篇が収録されており、文語調で読みにくい「小公子」や、アンデルセンの「おやゆび姫」など、幾つかの翻訳ものも載っています。
 
病気から快復するまでの数週間、私はその本を読んで過ごしましたが、これが私の読書事始めであり、読書の楽しみを知るきっかけになりました。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」や「杜子春」、鈴木三重吉による「古事記物語」などを印象深く読みましたし、長編の「小公子」を苦労しながらも読みおえました。

この記事を書こうとして、久しぶりにその書物を開いてみたら、小さな活字で三段組に印刷されており、どのページも文字で埋め尽くされています。それだけでなく、どの作品にも漢字が異様なほどに多用されていますが、すべての漢字にふりがなが付けられています。漢字にふりがなが付いていようと、この本を読むこと以外にやれることがあったなら、小学4年生の私は眼を通そうとはしなかったに違いない。今の私にはそのように思えます。

その頃の私の家にはラジオすらなかったので、病床にあっては読書しかできない状況でした。今のようにテレビがあったなら、もっぱらテレビを見て過ごすことになり、書物を開こうとはしなかったでしょう。あるいは、父か母が適切な手をうって、読書に導いてくれたのでしょうか。いずれにしても、小学生時代に読書の味を覚えたことは、私の人生に大いに役立っているはずです。

8月23日の投稿記事「成績劣等生から技術者までの道のり」(注1)で、鉱石ラジオや自動木琴演奏装置から始めて、ついには真空管ラジオの独学へと進んだことを書き、勉強ができないにも拘わらずそのようなことができたのは、私が偏差値教育に毒されていなかったからであろうと書きました。今も無論そのように思っているのですが、今日のブログを書いているうちに、さらに気づいたことがあります。もしかすると、書物を読み慣れていたことが、難解な参考書(注2)に取り組む勇気を与えてくれたのではないか。そうだとすれば、小学校4年生で病気になったことはむしろ幸運なできごとであり、私が成績劣等生から抜け出せた要因のひとつは、病床で読んだ文学全集にあったということになります。

典型的な理系人間と呼ばれるひとであろうと、多くの読書を通じてそこに至っているはず。どのような分野で生きてゆくにしろ、文章を読む能力はきわめて重要なものです。小学生の頃から読書に親しんでいたなら、中学校や高校で学ぶうえでそれが役立ち、ひいてはその後の人生を益することになるでしょう。もしかすると、中学生になってから塾に通わせるよりも、小学生時代から読書に親しませておく方が、はるかに好ましい結果をもたらすかも知れません。

誤解のないようにつけ加えると、学習塾の存在価値を否定するつもりはありません。学ぶことの意義を塾で知る可能性があります。子供の個性に合わせて教える塾もあるでしょう。目標を呈示して意欲を高め、努力を促す塾もありそうです。とはいえ、学校に加えて学習塾で学ぶ生活は、子供たちには過酷に過ぎると思います。子供たちにとって望ましいのは、学校の授業で充分な学力を得ることでしょう。そのための下地を養ううえで役立つことのひとつが、小学生時代に書物に親しむことではないか。私にはそのように思えます。

私の場合は数週間も床に臥すことになり、仕方なしに本を読み始めた感がありましたが、読書の喜びを教えてくれた父には感謝せずにはいられません。随分と待たせることになりましたが、父の歌集(9月9日投稿の記事「父の歌集」参照)をまとめることで、その恩返しをしたいと思う次第です。      (引用おわり)
 
成績劣等生から抜け出て技術者となった自分の経験と、父が長らく教師を勤めていたことから、私には教育に対する強い関心があります。その思いに押されるままに、昨年から始めた「明日はさらに好天気……喜多郎をBGMにブログを書こう」なるブログには、教育に関わる記事を幾度も投稿してきました。その幾つかを、新しく開設したこのブログにも転記したいと思っています。

(注1)「成績劣等生から技術者までの道のり」
私が開設しているブログ「明日はさらに好天気……喜多郎をBGMにブログを書こう」に投稿した記事(2015.8.23)のタイトルです。中学1年生まで成績劣等生だった私は、大学の工学部を出て電子技術に関わる技術者になったのですが、そこに至る経緯が簡潔に記されています。

(注2) 難解な参考書
ここで言う難解な参考書は「NHKラジオ技術教科書」です。上述の記事「成績劣等生から技術者までの道のり」にでてくるその書物は、中学生だった私には難解でかなりの努力を強いましたが、どうしても理解したいという気持ちが強かったため、苦労しながらも苦になることはなく、むしろ楽しみながら学ぶことができました。
自分にとって本当に面白いもの、あるいは強く惹かれるものであれば、苦労をおしても挑戦できると思います。子供にそのようなこと、あるいは書物を呈示できたなら、親としての役割の大きな部分を果たしたことになる、と言えそうな気がします。

 

今日から始める「はてなブログ」の日々

行き着く先はまだわかりませんが、今日からこのブログを始めることにしました。

 

まだ若いつもりでいるうちに、傘寿と呼ばれる齢になった私ですが、ブログとフェイスブックと小説に、青年の気概をもって取り組みたい、と思っています。ブログの名前を「ブログとフェイスブックと小説と」と名付けたゆえんです。

ブログとフェイスブックを始めたのは昨夏のことで、まだ新米の域を出ておりません。ブログを読んでくださる方がなかなか増えませんので、目先を変えてみたらどうであろうかと、新たにこのブログを開設した次第です。ブログの価値はむろん投稿記事によります。読んでくださった方々に、読んで良かった!役に立った!楽しかった!と思っていただけるよう願いつつ、政治、社会問題、教育、音楽やオーディオ、小説など、分野を限ることなく書くつもりです。

 

私が描いていた自画像は典型的な理系人間でした。そのような私が、あるとき思い立って小説を書くことになりました。そのいきさつが、最初に書いた小説「防風林の松」(注1)のあとがきに記されています。
年金で日を送りながら書いたのが、特攻隊員を主人公とする「造花の香り」(注2)なる小説です。
上記のふたつの小説を、アマゾンの電子書籍であるキンドル本にしたのですが、公開してからひと月が経ってもまったく売れず、したがって、カスタマーレビューへの書き込みもありません。少しでも多くのひとに読んで頂けるよう願っています。

 

その気になりさえすれば、高齢であっても小説は書けるはず。「読んで良かった」と思っていただける小説を書きたい……苦労しつつも楽しみながら。

 


注1 防風林の松

私が書いた最初の小説であり、アマゾンの電子書籍キンドル本)として公開しています。

〈小説の概要〉松井滋郎は中学一年生まで落ちこぼれだったが、今は電機会社で技術者として働いている。独学で取り組んだ電気の勉強が、中学生だった滋郎に自信をもたらし、大学を経て技術者へと導く結果になったのだった。
 仕事と恋と友情に恵まれ、充実した日々を送っていた滋郎は、同僚の妹に惹かれるままに、心の迷路に迷い込んでゆく。滋郎は仕事に情熱を燃やしながらも、上司に対して反発心を募らせる。そのような滋郎が自らの未熟さを思い知らされ、退職して新たな道に進まざるを得なくなるときがくる。
 新たな道を歩んだ滋郎の現在の姿が、かつての恋人との関わりをからめて、序章と終章に描かれている。

 
注2 造花の香り

  特攻隊に関わる小説ながら、ベストセラーになった「永遠のゼロ」とは異質な恋愛小説であり、テーマも大きく異なっております。3月にアマゾンの電子書籍キンドル本)として公開しました。

〈小説の概要〉  東京の大学で学ぶ主人公が恋と友情に恵まれ、戦時ながらも充実した学生生活を送る様子が前半に描かれ、後半では、徴兵された主人公の海軍航空隊での生活と、訓練の合間になされる婚約者との交流、さらに、特攻隊要員に選ばれてから出撃するに至るまでが描かれる。序章と終章は戦後における後日談であり、この小説のテーマがここに集約的に表わされている。